「自分の身体は、自分自身で整えることができる」

身体に困ったことが起こったら、自分では何もできずに専門家に頼るしかないのでしょうか? アレクサンダー・テクニークはこの問いに次のように答えます。 身体を楽にするのは、アレクサンダー・テクニーク講師ではなく、生徒自身であると。

ということで、今回はこのことを私自身のエピソードを交えつつ説明をしたいと思います。 私は最初、アレクサンダー・テクニークのことを本で知りました。そして読んでみたら、面白しろくてもっと知ってみたかったので、講師に連絡を取ってレッスンを受けることにしました。

レッスンを受けて印象的だったのは「アレクサンダー・テクニークは治療ではなく、教育なのだ」という先生の説明で、それはどういうことかというと、「 身体を直接変えるわけではなくて、頭のなかを変えることによって、その結果身体が変わるのだ」ということで レッスンで先生が生徒の身体に触れはするけど、それはあくまでも頭の中を変えるための手助けなのだ、ということなのです。

そうやって言葉で一通り説明をしたあと、先生は「ここからは手を使って教えます」と言っていよいよ私のアレクサンダー・テクニークを実際に体験する瞬間がやってきました。

先生の手がわたしの身体に触れると、不思議なことがおきました。なんだか分からないけど、身体がグーっと、今まで動いていなかったところが動き、次にスーっと身体が楽になりました。 頭のなかが静かになり、身体は軽やかで、今までに体験したことがない感覚でした。

わたしは先生に、「身体が楽になった、今までにない感覚だ」と言いました。 先生はうなずいて、次にこう言いました。

「それが今、自分がしている余分なことをやめる、ということです。ただ、明日には元の状態に戻ってしまいます。理由は自分がしていることをちゃんと理解していないからです。身体の緊張を引き起こす頭の癖を発見しなければ、自分で自分の身体を整えることはできません。だからアレクサンダー・テクニークは時間がかかるものなのです。」

わたしはこの言葉に少しだけがっかりしました。 なぜなら、レッスンを一度受けるだけで、すべてが上手くいくと考えていたからです。

なので、レッスン終了後は身体の軽やかさに心がウキウキしつつも、頭では自分がしている「余分」なことってなんだろうとモヤモヤした感じになっていました。

しかし、身体は確かに軽い。だけど「余分なこと」っていうのがイマイチわからない。堂々巡りでグルグルなって、考えてもわからなくなったので、もっと体験を増やして、もっと知りたいという気持ちが強く大きくなって来たので、何回かレッスンを続けて受けることにしました。

そして、五回か六回目のレッスンの帰り道にふっと自分がしている「余分なこと」を発見したのです。

それは狭い通路を通る時のことでした。通路には何人かの人が行き交っていて、目的の方向へ無言で進んでは誰かとぶつかってしまうという状況になってしまっていて、自分から「すみません」と声をかけて、道を開けてもらう必要が発生しました。

しかし、声を出そうとした瞬間、身体が固まってしまって声が上手く出せません。でも声を出さないとぶつかってしまうので、苦しいながらも無理やり声をだしました。

結局、声を出すことはできて、無事通れたのですが、とても喉が苦しかったです。その時に気がついたのです。私はとっさに声を出す時「首を縮めて喉を圧迫してしまうクセがあるのだ」ということを。そうして、これが、自分がしている「余分なこと」だと実感して、アテクサンダー・テクニークにとても感動しました。

とっさに声を出す時、私は緊張して、急激かつ極端にリラックスしていない状態になる「余計なこと」を無意識のうちに身体にさせていたのです。だから一瞬声が出なかったのです。だからとても苦しかったのです。

そして、自分の身体がしている「余分なこと」が分かったので、それをやめて身体を楽にと思うと、声が楽に出せるようになりました。いま思えば、この時は、まだ初めてばかりの初心者で、技術的に「自分のしている余分なこと」を少しやめられる程度だったので、声が少し出やすくなるくらいの効果しかありませんでしたが、それでも「自分の困ったことを自分で解決したという手応え」があり、それはさらなる探求心と繋がって、アレクサンダー・テクニークをもっと学べば、自分の身体の困ったことを解決するだけではなく、他の人の困ったことにも、対応できるようになって役にたつことができるのではないかと思ったのです。

次回は「アレクサンダー・テクニークの魅力」について書いてみようと思います。

ではまた。